国登録有形文化財の町家を、1日1組様限定で一棟貸切。
古都の風情に包まれたお宿です。

藤田家住宅は、「西陣」という呼称の所以となった応仁の乱の西の陣、山名宗全の邸宅跡に建てられた町家です。宗全の名に由来する山名町に位置します。国登録有形文化財でもあり、建築年代や様式の異なる東棟と西棟からなります。

東棟は、明治初期に建てられた伝統的な町家のつくりで、虫籠窓、格子窓など、当時の面影をそのまま残しています。

ご宿泊はこの東棟の1階部分となります。リビング・洗面・お風呂は利便性を重視して改装しておりますが、居間・寝室などは、町家のしつらいのままで、手すきガラス越しに蔵と茶室のある庭の見える居間は、静かに流れる時間を感じていただける空間になっております。

また、「おくどさん」(米を炊く竃)のあった通り庭は、三和土(たたき)になっており、戦前の生活道具、西陣織に関わる道具、また、京都にまつわる珍しい書物もあって、ご自由にお読みいただくことができます。

※各室の詳細、サービスなどについては「お部屋のご案内」をご覧ください。

 

2Fイベントスペース(通常非公開)

2Fは通常非公開のフロアですが、ご希望によりイベントスペースとしてお使いいただくこともできます(詳しくはふじたアートまでお問い合わせください)。

 

西陣について

京都では、5世紀頃から既に織物作りが行なわれていたとの説があり、平安時代(8世紀)には現在の西陣の南側に位置する黒門上長者町付近に織物職人が集っていたとされます。平安時代後期には「大舎人(おおとねり)の綾」「大宮の絹」などと呼ばれる織物が作られ大変珍重されました。

「西陣」の名は室町時代の中頃、京都の町を舞台に東西に分かれて戦った応仁の乱(1467年-1477年)の際に、西軍の総大将である山名宗全(やまなそうぜん)らが堀川よりも西のこの土地に陣を構えたことに由来します。応仁の乱の後には、戦乱を避けて各地に離散していた織物職人が京都に戻り、この西陣の地で織物作りを再開、織物の同業組合である「大舎人座」を復活させました。現在も西陣は京都の織物の中心であり、着物文化を継承し日本を代表する伝統産業として、世界的に知られています。

藤田家はその西陣の中心に位置し、織物製造業として大正から昭和初期にかけて西陣の中でも屈指の織機を有しました。その結果手狭になった店(現在の東棟)に接する家を買い、当時の当主の義父、喜多川平八(人間国宝・喜多川平朗の父)の趣向に添って、最高級の木材を使い、地袋、天袋の引手を杼(ひ。織物の横糸を通す道具)を模して作り、それぞれの部屋のための道具をつくるなど、贅を極めたしつらいが施されました。

伝統的な町家の風情を残す東棟と、細部まで施主がこだわって建てられた西棟。藤田家住宅は、それぞれの空間に見ることのできる職人魂、そして、そこから感じられる人と人との信頼関係、その中で確かにそこに生きた人々があって、西陣織が受け継がれ、今日の京都の文化があることを物語っています。

2019年、母屋としていた部分を改築。宿泊が可能なゲストハウス「西陣 藤田」として生まれ変わり、西陣の伝統や京町家をより深く知り、ゆっくりとくつろいでいただける、一日一組だけの宿泊施設として運営しています。

※各室の詳細、サービスなどについては「お部屋のご案内」をご覧ください。

 

山名宗全邸宅跡の碑がそびえる山名町に位置しています。